筋肉痛観察

しょうもない日常とつくったごはんを徒然なるまま書き残す。

「とぼとぼ徒歩にほどほどにほとほと嫌気がさした」

 

 

最近歩いていてふと思った

 

 

歩いている気がしないなあと

 

 

 

 

 

小学生のころから歩くことは苦じゃなくて

 

学校の登下校も楽しみのひとつだった

 

 

意識はしていなかったけれど

徒歩通学じゃなくて

電車通いだったら

 

学校に行ってなかったんじゃないかな

 

と思うほどだ

 

 

今でも散歩は好きだし

バイトから1時間以上かけて歩いて帰ることも普通にあって

電車を使わなくて済むのなら1~2時間歩くことを積極的に選ぶ

 

 

でも

昔みたいに

歩くこと自体を楽しんでいる

とは思えない

 

 

小学生の時は

体育袋を蹴って家まで帰るだとか

決めた石を家まで蹴り続けるだとか

道の脇の側溝のハッピーターンサイズの穴に

傘をタイミングよく差し入れるのを極めたり

 

定番の

白線から落ちたら足がねじり切れて五臓六腑が爆散する~

 

という風に

毎日同じルートなのに

毎日違う世界がそこには広がっていた

 

 

中学では人に合わせて歩くことを覚え

友達とのたわいのない話のために足を動かした

 

 

高校は自転車で1時間

雪が降ったら電車は10分なのに

徒歩は1時間とかかかっていたから

 

悪天候であればあるほど徒歩を強いられた

 

 

 

でも楽しかった

 

 

 

階段はつま先で

絶対に音をたてないように歩いたし

 

 

一歩ごとに

 

かかとで着地して

重心の移動を意識し

親指の付け根で地面を蹴る

というレベルまで突き詰めて

きれいな歩き方を目指していた

 

縁石があれば上るし

白線がなくてもラインを意識する

 

だから目をつむっても縁石から落ちずに

最高速度で歩けてたし

 

つるつるの雪道でも

摩擦の多くかかる歩き方を生み出して

転ばず滑らず最高速度で歩いていた

 

 

 

それがいつの間にか

いつの間にか

猫背でだらだら歩くようになっている

 

頭の中は

 

乗らなきゃいけない電車の時間とか

授業の時間とか

乗り換えの方法とか

 

 

そんなくだらないことで埋め尽くされている

 

 

東京で暮らすようになったからか

大学生になったからか

理由は定かではないけれど

 

 

未来のことばかり気にして

「今歩いている」

という現在の自分や世界から遠ざかってしまった

 

 

 

予備校で尊敬していた先生の話を思い出す

 

昔と今の人間の大きな違いは時間に対する感覚だ

 

昔の人は春が来て夏が来て秋が来て冬が来てそして春が来る

というように円環型であり

それゆえゆっくりとした時間の感覚を持っていた

 

しかし現代の人間は時間は進み戻らないものだと

一方通行の矢印型の感覚である

 

だから今年は去年よりも良い年になるようにとか

今日できなかったから明日やろうとか

常に過去に追われ未来のことばかり考えてしまう

 

でも正しくはスパイラル型である

円を描きながらも徐々に上へと上がっていく

線は交わらず一定の幅で上昇していく

一年一ヶ月一日と

時間は巡ると知りつつも去年は今年と違うと考える

それが現代人なのだ

 

 

 

つまり

過去に急かされるように未来に進んでいる

 

だから過ぎ去る時間はあっという間だし

 

常に計画と後悔で雁字搦めで

時計とにらめっこしなきゃいけない

 

 

中学ではいい高校に入れるように頑張ろう

高校ではいい大学に入れるように頑張ろう

そして今は

将来のために

いい会社に入れるように頑張ろう

 

 

じゃあ「今」のために頑張るのはいつだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

最近歩いていてふと思った

 

 

歩いている気がしないなあと

 

 

 

人は未来を歩くことはできない

未来のために歩いていたら

電柱にぶつかっちゃうし

段差でつまずいちゃうし

足元の小さな花にも気が付けない

 

 

道の先に未来があるのはもちろんだけど

過去があっても今があってもいいと思う

 

 

でも僕は歩くことを好きでいたいから

今に向かって今を歩こうと思う

 

かかとで着地して

重心の移動を意識し

親指の付け根で地面を蹴る

 

 

うちの隣の空き地では

ハルジオンが咲いていた

 

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僕は今歩いている