「社会人と卒業と就活について今思うこと」
お久しぶりです
前回の更新が4月9日
これを書いているのが6月13日
2ヶ月以上が経過しました
それはつまり私が社会人となって
社会の歯車になって経過した日数でもあります
一人称も「わたし」になりました
いや、
正確には
「ぼ(くと言いかけて)わたし」
なので
「ヴァターシ」
って言っちゃっています
とこんな感じで社会の常識とやらに染められていく日々です
感性が鈍くなっていく
本当はそれが何より怖い
一人で食べる昼食よりも
月曜の朝よりも
ヴァターシの好きな曲のひとつで
バズマザーズの「恋文は下駄箱の中」の歌詞の一節です
こんなにも平素な言葉で
自分の中に燻っていた不安を言い当てられるなんて
思いもせず思い知らされた
そんな一節です
社会人になって
日の大半を
週の大半を
月の大半を
人生の大半を
歯車の一部として過ごすことになる
大半の人間に突き刺さる言葉ではないでしょうか
社会の歯車なんていうけれど
歯車が噛み合って回っているうちはいいんです
怖いのは自分が噛み合ったその歯車は錆びていないか
ということ
腐ったミカンが周りのみかんに腐敗を伝播させるように
歯車の錆びが自身を蝕んで
回ることすらしなくなって
回っていないことにも気がつかなくなって
こんどは自分の錆びが
新しく収まったピカピカの歯車をくすませてしまうこと
怖いなぁと
前回の記事で
次は卒業について
その次は就活について書きます
と宣いましたが
前者については
卒業は終わりじゃないんだなって
入学式と卒業式
みたいにセットで捉えてきたから
始まりと終わり
みたいに思うけど
卒業って単なる点、なんだなって今になって思います
でもすごく意味を持つ点、です
大切な点
ピリオドじゃなくて読点
そして後者について
就活について思うこと
それは
就活をしている時点でもう何かを妥協している
ってことです
本当にやりたいこと、好きなことを仕事にしている人は
就活なんて形式張った波に流されることなく
高校3年とか大学4年とか
そんな枠組みに押し出されることもなく
そして意識することもなく
その何かを仕事にしています
自分の中の何かに目をつぶって
自分の中の純粋な気持ちに言い訳して
無意識に何かを諦めて、何かに妥協して
そうやって気がつけば就活という波にのっています
足下の小さな板から落ちないように
何故落ちてはダメなのか自分では考えることもせず
必死にバランスをとって落ちないように
前に進んで行きます
その板の下には
広大な海が広がっているというのに
でもその板はいつかはどこかに到着します
背後の大海原に気がつかないふりをして
そのどこかで一生懸命頑張ります
それが就職して働くということだと思います
どっちがいいとか悪いとかいうのではなく
板から落ちちゃった人は1度海と向き合ってみては
いかがでしょうか
と提案をして終わりにしたいと思います
以上で卒業と就活についてまとめた
……ってことにします!
ベッドとテレビと冷蔵庫しかなかった我が家にも
モノが揃ってきて
部屋らしさと
それに付随した生活のしやすさが増してきました
机の上がお気に入り
さて
ぼちぼち料理も始めようかな