「看板を真下から見る」
看板を真下から見る
近頃イチ押しの時間の潰し方です
看板を真下から見ることがあるでしょうか
まず無いと思います
理由は2つあります
1つは看板を真下から見ようと思うことがないから
当然です
2つ目は看板の真下には何の情報もないから
これです
本来離れた位置にいる人間に対して
何らかの情報を視覚的に伝えるのが
看板の役割です
真下ということは
その情報がすでに伝わっている状態でなくてはいけないのです
もしくはもはや情報を伝える必要がない状況下にあるのです
だから誰も看板を真下から見ることはありません
だからこそ是非見てみてほしいのです
人は仕事をしているとき
必ず何らかの役割を果たしています
友達といるときも
家族といるときも
自分が相手にとっての”誰か”である以上は
きっと役割を演じています
役割を演じていないのは
赤ちゃんのときと
愛する人といるときと
1人でいるときくらいです
その瞬間だけが
その人が真に素でいられるときなのです
その素の瞬間を幾つ知っているかで
人との距離は決まってくるのではないでしょうか
人の素をみてあげる
自分の素をみせてあげる
そうすれば人と人との相性はより顕著になって
人の好き嫌いが明確になって
却って健全で良好な人付き合いが成立するような気がします
つまり看板を真下から見ることは
そういうことなのです
僕は一体何を言っているのでしょうか
僕は駅のホームが苦手です
改札をピッと入ってしまうと
もうお前は電車に乗るしかないんだ
電車が来るまでこのホームから抜け出すことはできないのだ
って逃げ場を奪われるというか
自由を奪われるというか
漠然とした閉塞感と中途半端に薄暗い感じが
どうも好きじゃありません
だから僕は
予定より早く駅に着いて
電車が来るまで時間があるときは
改札を入らないでできるだけ外で待ちます
この暇つぶしに
看板を真下から見ているよ
っていうだけのお話です
せっかく看板の話をしたので
今まで撮ってきた看板の写真の一部を載せます
看板や標識なんかが昔から大好きで
気がついたらシャッターを押してしまいます
カラフルで
時代を感じられて
何かを主張している
ひっそりと
そして大胆に
そんな看板たちのポートレート
ご覧ください
看板の愛らしさに気がついてもらえれば幸いです
ふと思ったのは
こうしてブログを書いていると
ブログをやる理由って
自分の”好き”を誰かに知ってもらいたいという気持ちが
決して押し付けがましいものではなくて
興味を持ってもらえたらっていう純粋な気持ちが
あるからなのだろうかと
思いました
本日は丁寧な語り口調でお送りしました
それでは