「カタチにするということ」
ブログの写真を集めたフォトブック
作ってみました
85記事の中から
各記事1〜2枚ずつ選抜したにも関わらず
そのページ数たるや96ページ
これ本当は
2月28〜3月5日の期間
所属するサークルで行った写真展に出そうと意気込んで作ったもの
手元に届いたのは3月9日
3月9日
今だに何がいけなかったのか
何故遅れてしまったのか皆目見当もつかないんです
「作成に10日、発送に2〜4日」
というコースを自らの意思で選び
自らの右人差し指でクリック
写真をアップロード、選択し
配置や文章を編集
仕上がりを確認して発注
パソコンをそっと閉じ
(手元に届くまで6日間か。これなら写真展に間に合うぞ!)と思う
写真展に間に合わない
注文から14日後に家に届く
やはり変な箇所は見当たりません。
しいてあげるなら
僕の頭がトチ狂っていたところでしょうか
今回はフォトブックということですが
100記事に到達した際には
文章付きで製本したいと思いました
完全なる自己満ですが
だけど
写真展をやって思うのは
写真は印刷してあげるべきだということ
そしてできれば額縁やアルバムに
入れてあげるべきだということ
文章も同じで
できれば手書きがいいし
PCやスマホで打ちこんだ文字でも
印刷したほうが活き活きします
質なんて関係ないし
他人に響かなくっても問題ありません
なにか”カタチ”にすること
形にして残すことは
すごく自分にとって意味があることな気がします
実家の部屋を整理していたら
高校の時の担任の先生が
毎朝一枚ずつ配ってくれていた
その先生が自費出版で世に出した
小説のコピーが出てきました
毎日読む生徒は多いとは言えなかったかもしれないけれど
印刷して配ること自体がその先生にとって
大きな意味があったんだと思います
パソコンの画面越しにみる写真や文章は
視覚でしか楽しめません
形にすれば五感で感じ取ることができます
それは自分自身を少なからず
前に進ませてくれるような気がします
友人が漫画月刊誌での連載を終え
来月に単行本を出します
彼はその単行本を経てさらに飛躍すると
信じています
彼はプロだけれど
作品を”カタチ”にして前に進んでいます
そして
それは同時に周りの人にも大きな影響を与え
勇気を与えてくれます
モノをカタチにすることはそれだけ力のあることです
このネット社会でデータをカタチにすることは
大なり小なり意味を持ちます
皆さんもスマホに眠っている写真や
パソコンに眠っている文章なんかを
形にしてみてはいかがでしょうか
今日はピクルス
セロリ(筋を取る)
きゅうり(種を取る)
ズッキーニ
にんじん
タマネギ
を食べやすい小さめの形にカットし
大きさをそろえる
固いものから
順に沸騰したお湯に入れ
軽く湯通し
ワインビネガー(好みのお酢でOK)
水
砂糖
塩
を軽く煮立たせ
お湯をきった野菜にかける
オリーブオイルとブラックペッパー
を振りかけて
冷蔵庫で冷やす
煮沸消毒した容器に移せば
完成。
ハーブは
タイムやローリエ、ディルなど
気分に合わせて変えると違った味になって楽しい
鷹の爪やクミンでも美味しい
お酢の種類や分量で
全く変わるので
最強なピクルスを探す旅は長く楽しいと思います
野菜はスティック状でもいいかもな~
それではまた
「理想の女性は射手座のB型かO型の年の差3歳以内の辰年で東か南にいて経済力はないが誠実な女性」
はじめての御祈祷、してもらってきました///
なんたって今年は本厄の年
男性は数え年で
25歳、42歳、61歳
女性も数え年で
19歳、33歳、37歳、61歳
数え年というのがややこしいのですが
生まれた年を1歳として
以後新年を迎える毎に+1歳していくという数え方
今年の7月で24歳になる僕は
数え年で25歳なのだそう
25歳って大変なことだ
25歳って大変なことだ
大変なことだから
とりあえず
飲んで忘れよう
ということで
もらったお神酒を飲み干しました
体内から清められるうう
ちなみに僕は
阿佐ヶ谷 神明宮
という天照大御神(アマテラスオオミカミ) をお祀りしている神社に
お祓いに行ってきました
何故ここへ参拝したかというと
阿佐ヶ谷駅から徒歩2分という好アクセスにも関わらず
「阿佐ヶ谷神明宮唯一八難除祈祷」
という御祈祷をしてくれるからです
八難除祈祷とは何ぞやと言いますと
「八難除(はちなんよけ)とは、全国で唯一、当神明宮だけが行っている御祈祷方法であり、年齢から来る厄年の災い(厄除)、方位や地相・家相を犯したことに起因する災い(八方除)、火や水や人の災い、因縁から来る災いなど、現世に数多ある災難厄事総てを取り除く御祈祷です」(公式ウェブサイトより抜粋)
です。
とにもかくにも
全ての災いを取り除くという神がかり的な御祈祷なのです
そもそも厄年というのは
就職や退職など
人生の中での大きな変化のある年であって
そのために生活や精神が不安定になるので
気をつけましょう
という意味もあるとのことなので
神様のご加護をうけ
慎ましく用心深く生きていれば
きっと大丈夫
欲に負けず慎ましく
あれが欲しいこれが欲しい
なんてもってのほかです
自分本位に欲望のままに求めるのではなく
相手を思いやり
周りに気を使って
慎まs…
彼女が欲しい。(ドドンッ!!!)
御祈祷の申込時に88種の願い事の中から
ひとつを選んで祝詞を読んでいただけるのですが
唐突に88種類もの四字熟語が並んだ表を見せられて
あなたの願いはどれ?
と言われてもさっと選べるわけがないじゃないですか
でも僕は圧倒的速さで決めました
――良縁祈願
ありったけの煩悩を力に変えてそう叫びました
一緒に行った友達は
「神威拝戴」
とすごくいい声で言っていました
祈祷の後
彼の右腕に黄金色のオーラが纏われていたことは
言うまでもありません
ちなみに僕ら2人、
神威拝戴の意味はわかっていません
そして煩悩の亡者と化した僕と
右腕に何かを宿した友人は
恋みくじを引きました
結論だけいうと
射手座のB型かO型の年の差3歳以内の辰年で東か南にいて経済力はないが誠実な女性
が理想的なようです
当てはまる方のご連絡をお待ちしております
そんなこんなで厄除けの祈祷を受け
清々しい面持ちで神社を後にしました
慎ましく気を付けてこの1年を過ごしたいと思います
そしてついに
東京から秋田の実家に舞い戻ってきた僕ですが
実家内で最も暇な人間であることには
弁論の余地もないので
花嫁修業と称して
毎晩せっせと夕飯を作っている次第です
初日は
ポーチドエッググラタンとローストポーク丼
まず玉ねぎを薄くスライスして3分ゆでる
ざるで水を切って
多めのバターでよく炒める
しんなりしてあめ色に近づいてきたら
えのきを加えオリーブオイルを足す
火が通ったら小麦粉を加えて炒め
牛乳とお湯にといたコンソメを
少しずつ加え
塩コショウで味を調節
ホワイトソースができたら
グラタン皿に半量入れ
別で作ったポーチドエッグをのせる
ポーチドエッグは
多めのお湯を沸騰させ
中火に落としてお酢を少量加える
混ぜて渦を作ったら
真ん中に卵を割りいれ
2~3分放置でできちゃう
のこりのソースをかぶせ
とろけるチーズと粉チーズをかけて
220℃のトースターで20分
完成。
ローストポークはこちらを参照↓↓↓↓↓↓↓
今回はトマトソースで
マッシュルームとトマト缶に
オリーブオイルと刻みバジルと
醤油とコショウで
スプラウトとレタス
パセリを用意
盛り付けて
完成。
やっぱビーフよりポーク派だな~
恋みくじには恋の歌が載っていました
アイスクリーム
甘く悲しく
別れては
偲ぶ恋なの
想はつのる
別れはつらいです
でも僕の片思いに対して
諦めるな!将来性があるよ!
と書かれていたので
おみくじっていいやつだなー
って思いました(単純)
嗚呼、雪見だいふく食べたい
「看板を真下から見る」
看板を真下から見る
近頃イチ押しの時間の潰し方です
看板を真下から見ることがあるでしょうか
まず無いと思います
理由は2つあります
1つは看板を真下から見ようと思うことがないから
当然です
2つ目は看板の真下には何の情報もないから
これです
本来離れた位置にいる人間に対して
何らかの情報を視覚的に伝えるのが
看板の役割です
真下ということは
その情報がすでに伝わっている状態でなくてはいけないのです
もしくはもはや情報を伝える必要がない状況下にあるのです
だから誰も看板を真下から見ることはありません
だからこそ是非見てみてほしいのです
人は仕事をしているとき
必ず何らかの役割を果たしています
友達といるときも
家族といるときも
自分が相手にとっての”誰か”である以上は
きっと役割を演じています
役割を演じていないのは
赤ちゃんのときと
愛する人といるときと
1人でいるときくらいです
その瞬間だけが
その人が真に素でいられるときなのです
その素の瞬間を幾つ知っているかで
人との距離は決まってくるのではないでしょうか
人の素をみてあげる
自分の素をみせてあげる
そうすれば人と人との相性はより顕著になって
人の好き嫌いが明確になって
却って健全で良好な人付き合いが成立するような気がします
つまり看板を真下から見ることは
そういうことなのです
僕は一体何を言っているのでしょうか
僕は駅のホームが苦手です
改札をピッと入ってしまうと
もうお前は電車に乗るしかないんだ
電車が来るまでこのホームから抜け出すことはできないのだ
って逃げ場を奪われるというか
自由を奪われるというか
漠然とした閉塞感と中途半端に薄暗い感じが
どうも好きじゃありません
だから僕は
予定より早く駅に着いて
電車が来るまで時間があるときは
改札を入らないでできるだけ外で待ちます
この暇つぶしに
看板を真下から見ているよ
っていうだけのお話です
せっかく看板の話をしたので
今まで撮ってきた看板の写真の一部を載せます
看板や標識なんかが昔から大好きで
気がついたらシャッターを押してしまいます
カラフルで
時代を感じられて
何かを主張している
ひっそりと
そして大胆に
そんな看板たちのポートレート
ご覧ください
看板の愛らしさに気がついてもらえれば幸いです
ふと思ったのは
こうしてブログを書いていると
ブログをやる理由って
自分の”好き”を誰かに知ってもらいたいという気持ちが
決して押し付けがましいものではなくて
興味を持ってもらえたらっていう純粋な気持ちが
あるからなのだろうかと
思いました
本日は丁寧な語り口調でお送りしました
それでは